2009年7月2日木曜日

立つべき場所に(出エジプト13)

第13回 出エジプト記18章1~27節(2009年5月24日)

「立つべき場所に」


***モーセのしゅうとイテロがやってきた。モーセが、イスラエルのために神がなさった全てのことを話し、イテロは喜んだ。翌日、朝から夕方までさばきのためにやってくる大勢の民をみてイテロはモーセに助言をした。民の中から誠実な人を見つけ、リーダーとするように、そして、小さい事件は彼らが裁き、大きい事件のみをモーセが裁くようにと。モーセはしゅうとの言われたとおりにした。***


モーセには、チッポラという妻がおり、今日出てくるイテロは、その父です。モーセはミデヤンに家族をおいて、1人でエジプトに行きました。それが命がけの仕事になるとわかっていたからです。出エジプトから数ヶ月たち、旅の群れはミデヤン近くを通ったため、イテロが娘チッポラや孫たちを連れてモーセに会いに来て、語らいの時をもったのでした。神がイスラエルを守るために、海を分けられたこと、苦い水が甘くなったこと、岩をたたいたら水が出たことなど・・・イテロはさぞかし驚き、また喜んだことでしょう。

18章のテーマは、13節以降です。250万という群集、それは名古屋市全体の人口にも相当しますが、それだけの人々が出エジプトの旅を共にしています。モーセはそこで「裁きの座」についていたとありますが、これは、カウンセリングのようなことをしていたのです。また、刑事、民事の両方において裁きをしていました。

14節、イテロは、「なぜこんなことをしているのか」と言います。20節では、「あなたは彼らにおきてとおしえとを与えて、彼らの歩むべき道と、なすべきわざを彼らに知らせなさい」と語ります。これは、教会の礼拝、また、説教と同じで、みことばから学びつづけることが大事だということです。どう生きたらいいかを民に教えよというのです。

17節、しかし、あなたが全てを裁くのは「良くない」と語ります。別の方法があるよ、と。千人の長、百人の長、50人の長、10人の長、つまりリーダーをたてよといいます。これは、行政を指しています。市、件、国、それぞれリーダーを立てるのはとても合理的です。聖書には、現在の行政や法律に通ずることが書かれているのです。

モーセは、イテロに言われるまで、何故このようにしていたのでしょうか。牧師として分かる気がします。自分がやらないとダメだと思ってしまうのです。自分で全てをやらないと治まらないと。人に任せるには、信頼することが必要ですが、それが難しい。そういうことが強くなっていくと、独裁主義に陥っていきます。ヒトラーは、誰をも信頼することが出来ず、どんな細かいことでも報告させたといいます。

人に任せず、自分で全てをやる方が、楽だという面があるのです。しかしそれは、いつか破綻します。モーセはここで、自分の使命は何かと教えられました。私たちは目の前にあることを片付けたいと思います。しかし、どこへ向かうためにそれをするかを分かっていなければ意味がありません。約束の地に人々を連れていくことがモーセの使命でした。しかし、現状の彼は、目の前のことに追われていたのです。

あなたの使命は何かを考えること。それは、一番大切なことは何か?を問われているということです。結婚カウンセリングで、結婚の決心がつかないという女性に出会ったことがあります。彼の言動を見ていると、自分と結婚したいのかが分からないと。しかし大事なことは、「自分はどう思うのか」です。

一番大事なこと、それをモーセは問われました。それは、民を連れていくこと、それを通して民が神を見、知っていく、分かっていくことでした。そして、モーセのえらいところは、しゅうとの言うことをすぐさま聞き入れたことです。

出エジプトは人生の旅と同じです。神を見るために仕事が与えられており、人生も与えられています。せっかく旅をしているのだから、その中で神の恵みを発見していけた方がいいに決まっています。私は実は、新婚旅行のことを何も覚えていません。運転するので精一杯だったからです。これはとてももったいないことです。運転しながらも、景色を味わうことが出来たら良かったのですが。同じことで、神を知るために仕事は与えられているのです。仕事そのものは、目的ではありません。家族すら、そうです。家族を通して、神を知らせていただくのです。

モーセは大切なことを忘れていました。民もそうです。モーセにただ付いてきただけの彼らは、いつも不平不満で満ち、神を分からないでいました。奇跡を見ても、すぐ忘れ、それどころか、もっと見せろという。しかしここで、民たちは役割が与えられたのです。同時に責任も与えられました。神の業に参加をし始めたのです。そうして初めて神を見ることができるのです。私たちは人間関係において、相手のことが分かったら、これをやってあげる、と考えます。しかし、本当は反対です。まず、相手のためにやってあげること、そうすれば、だんだんと相手のことが分かってくるのです。リーダーは七転八倒しながらも、神が見えてきます。奉仕をしていくなかで、新しい動きが始まり、主に出会うのです。民たちは、そのような、神をみるきっかけを与えられたのでした。

彼らは艱難の中で主を見ることができるようになります。神の働きのために業をしていくなかで、さらに見えてくるのです。私たちがどのように人生を歩むか、それを出エジプトから学ぶことができます。仕事、家族、人間関係、赦せないと思う人々との間でも、神を見ることが出来ます。私たちが立つべき場所は、「神をみるための旅人」だということなのです。