2010年1月31日日曜日

民をとりなすモーセ(出エジプト32)

第32回 出エジプト33章12~23節(2009年1月24日)

「民をとりなすモーセ」

***モーセは神に対し、民のためのとりなしをした。約束の地に上っていくために自分一人では民を導いていくのは困難なので、どうか共にいてください、おいでにならないなら私たちをここから上らせないでください、と。***


人間関係において誰かとケンカしたとき、振り上げた拳はなかなか下げることが出来ないものです。 江戸時代にも、誰かが仲介に入って中を取り持ったというようなことがありました。今のように法律が定まっていなかったので、習慣としてそうしていたのです。ケンカしている当人同士で解決しましょうなんてことは無理です。だから、国と国の問題は国連が入って解決します。
 
2本足の椅子はありません。普通椅子は4本足ですが、実は4本というのも、完全に安定するわけではありません。3本足の椅子が一番安定するそうです。物理学的に、3という数字は一番安定するのです。神が3という数字を完全数とされたのは、そういうこともあるのでしょう。2人の間に入ってとりなす3人目の人がいるかいないかで、大きな違いが生まれるのです。 

とりなすということは、両者の間に入って、ぼたんのかけ違いを直すことです。神が選んだ民が、偶像礼拝に陥り、金の子牛を作って拝みました。怒る神と民の間にモーセが入り、「もう一度民のところに戻って約束の地に連れて行ってください、もちろん民が問題ですが、ぜひお願いします」と懇願し、仲介した、それが今日の現場です。

アメリカでは、Superviserをたてるということが一般的になっているようです。中立にある人を雇うのです。Superviserは両者の話を聞いて、どっちがいいとか悪いとかのジャッジをしません。夫婦喧嘩でも何でも、当の2人だけでの解決は無理です。仲介者が入って、問題をさかのぼって考えることが必要です。牧師として親子や夫婦のカウンセリングをしていますが、それはまさに、間に入ってとりなしをするということなのです。 

モーセは、ねんごろにしつこく、今までのことが無駄にならないようにと懇願します。18節「どうか、あなたの栄光を私に見せて下さい」19-23節は神の言葉です。「恵もうと思うものを恵み、あわれもうと思う者をあわれむ。あなたはわたしの顔を見ることができない。人はわたしを見て、なお生きていることはできないからである。」

神の姿を見たら死ぬ、と語られました。モーセは、どうかあなたご自身を見せて、と立ち入って頼むわけです。しかし神は、「そういうわけにはいかないが、一緒に行こう」と言われました。モーセの勇み足ではありましたが、とりなしというのはこういうことです。行きつ戻りつ、こうしてくださいああして下さいと、加減をみながら、民が救われるようにと懇願しています。

とりなしの究極の姿、それは、イエスの十字架です。神と人とを、イエスの血によって橋渡しをされました。
自分が犠牲になって人類を救ったのです。まさに生贄です。イエスの時代から数千年前の時代、モーセも、民のために神にとりなしをしたのでした。

私たちが具体的に、生活の中でとりなしをするとはどういうことでしょうか。目の前に問題があるとき、私と問題の2者では解決できません。真ん中にキリストをおいて、とりなしをしてもらうことが解決です。いろんな問題があり、負いきれないと感じる時、誰かに相談することはいいでしょう。しかしその前に、イエスと共に祈り、とりなしをして頂くのです。これをあなたはどうやって解決してくださいますか。期待します、お願いします、 と祈ってから、誰かに相談するのです。

とにもかくにも、イエスがとりなしをして下さることを忘れないで下さい。イエスのとりなしによって、問題は必ず解決していきます。出エジプトのように、弱く小さかった民がとりなしの連続の中で大きな民族に成長していったように。歴史上のクリスチャンたちが、平安が与えられ、強く世界に影響を与えることが出来るようになっていったのも、キリストのとりなしのゆえです。

もし私たちが、問題のとりなし者にならなければならなくなったとしたらどうですか。誰かに相談を受けたとしたら?キリストと共にとりなしをしましょう。私たちはキリストではないから、その方にキリストを紹介するということです。「私は、自分の問題をキリスト、つまり聖書の言葉で解決しようとしています。あなたの問題に、私も一緒に関わりますが、御言葉を聞きながら、また、牧師に聞きながら、どう考えたらいいかを理解していくのはどうですか」とお勧めするのです。ご自身の経験・思想だけでアドバイスをしない方がいいでしょう。

親子関係はまさにそうです。小さいときに、子供と父との間に問題があったら母が仲介者になるということは、その子の成長にとって大変重要なことです。今、いろんな依存症が増えていますが、親子関係に問題があったことが多いようです。親がどちらかについてしまう、1対2で対極になってしまうということは問題です。父または母は、中立になるためには、キリストが共にいてくださって、この2人をどうするかを考えるということ。それが出来るなら、人間の知恵ではなく神がとりなして、その関係を正しく保っていくことが出来るのです。

私たちは、何か問題が起こったときには、ぜひ喜ぼうではありませんか。そこに、とりなすキリストが必ずいるということだからです。それを発見していきましょう。問題がある時には、聖書を読みましょう。必ず解決があります。問題はチャンスです。イエスがとりなしをして下さることが分かるチャンスです。イエスの姿を生活の中で発見していきましょう。